マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会
ヤナーチェクとマーラーを指揮します。2人とも実はモラヴィアの首都ブルノを中心に考えれば、同じ地域の出身。加えれば、フロイトもヤナーチェクとほぼ同じ地域の出身。
ヤナーチェクとマーラーに交流があったと言う話はありませんが、双方にその活躍と作品は知っていたはずです。(ヤナーチャクは1854年、マーラーは1860年生まれ)
チェコ人はマーラーはチェコ人だからと言います。オーストリア人はマーラーはウィーンの作曲家だと思っています。どちらも正解です。ヤナーチェクもオーストリア人とも言えます。
当時のハプスブルグ帝国旧オーストリアのテリトリーの広さを考えると、現在の東欧諸国はすべて同じ文化圏だったとも言えます。第2次大戦後の冷戦時代、ウィーンには多くの音楽家たちが共産主義から逃れ、亡命していました。
私が16歳から学んだウィーンの先生たちのはほとんどが、ハンガリーから逃れたコダーイ、バルトークの弟子、ブルノから逃れたヤナーチェクの弟子、またソ連から亡命した人々でした。もちろん、ブルーノ・ザイドルホーファーやクルト・ヴェスのようなまさしくフランツ・リストの直系のようなマエストロたちにも学んだのですが。。。
一般的にマーラーはウィーン、ヤナーチェクはチェコという型にはめるのは如何なものかということです。
今回、マーラーの嘆きの歌をクリスマスイブに演奏するのは、はたしてふさわしいのか?との思いもありましたが、昨今の世界的な戦乱の中、特に考えもしていなかった、イスラエルのパレスチナへの猛攻、、、ベツレヘムのクリスマスミサもこんな中では中止とのこと。
師匠のガリ・ベルティーニはイスラエル建国前に移民した最初の一族。オスロ合意を果たし、その後パレスチナとの和平に反対するユダヤ人に暗殺された、イツァーク・ラビン首相とは子供の時からお隣さんで一緒に遊んでいたお兄さんの様な存在だったそうです。
はたして、現状を今は亡き師匠のベルティーニ、ラビン首相、また平和を求め続けていたアラファト議長は天国からどんな眼差しで見ているのでしょうか、、、、、
マーラーの嘆きの歌はその意味でも、大きな悲しみと痛みを抱えたパレスチナの人々に捧げたいと思います。
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